小市民、なにげにサバイブ

発達障害持ちでも素敵に無敵に生き抜いていけるんだ!

名もなき詩~~徒然を唄え~~

センセイがいなくなっちゃった分校の隅で静かにTwitter開く 閑古鳥顔を見合わせ啼いている元気出すんだ勇気出すんだ 帰り道、夏の終わりのハーモニー後ろ手に引く分校の翳(かげ) 何事も流転して止まぬ世の中に暮らしてる僕ら無常だからさ 夏の終わりに 久しぶりに「土地の分校」へと出掛けてきた。 この下宿街の住民であるところの、僕らのような無力な市民を育んでくれて、学ばせてくれて、自立へと導いてくれた……略して「土地の分校」…… 歌に詠んだ通り リアルに、ガチに言って「分校のシンボル」であり、要でもあった「センセイ」がお亡くなりになられてから、分校への人の出入り(それまで足しげく通っていた多くの教室生の姿が見えなくなった……)が急速に減ってしまったことは事実だ。 これまでの四半世紀を振り返るとすれば、あらゆることは流転の法則によって…開かれていたものは閉じられ、また新たになにかしらが開かれて…地球が自転を繰り返しながら太陽の回りを公転するように、、、永遠などどこにも見当たらないのだ。。。 そういういわゆる「諸行無常」のリアルには もうさすがに通じていて…(というよりは遥かに長けていて) こういう泰然自若なところは、僕の持つ一種の長所なのかもしれない。 いや、世間の荒波にもまれているうちに自然と培われた力なのだろう。。。 今は残暑だけれど あと2~3週間もすれば、 今年も夏が終わる。。。 ちなみに今日、分校の文化祭に参加申し込みを済ませてきた。 小規模ながらも、秋に開かれる文化祭である。

勝負強さとは

職場からの帰り道、ふと考えてしまった。 現場力とはなんだ?という「お題」で。 現場に強い者は現場を制す、現場を制する者はすべてを制す。……とかって、呟くように。。。う~ん、そのためには……すべてを引っくるめて「現場力」ってやつが必要だ。自分を取り巻く、あらゆる現場のことをかんがみても。もう十年間、同じ職場で頑張ってきたんだ~~~今度の土壇場も、培われたはずの「現場力」ってもんで!! んで、土壇場なんかじゃないじゃん! 天王山じゃん!これ!!天下一武道会じゃないけど。舞台だよ舞台。観衆の見守るなか…… ってか、現場を制すよ俺は…… そんな風に神経質気味に主観に入って、帰宅。 シャワーを浴びて、スポーツドリンクを飲んだ。。。クラシックでこころを鎮めながら、、、「制す」で検索かけてみた。 故事ことわざサイトで手が止まった。 「制」を使ったことわざ………①「機先」を制す ②「柔」よく「剛」を制す ①は、天王山のことを言っているのだな。よく言う「夏を制する者は受験を制す」的な。 好機を逃すな、一寸の光陰を軽んじるやつは……ふむふむ。現場もいろいろあるけど。ひとつじゃないけど。。。 ②は、はじめて聞くようなフレーズ。強気な人や経験者が現場を制する様によく出くわすけど、いわゆる柔らかさが 強気で面の皮が張っている「実力者」「経験者」=いわゆる兵(つわもの)を制したりもするわけだ。。。 ふ~~~む、ふむふむ、ふふ~む、、、 いやあ 自分を省みてしまうね。。。考えさせられる日だった。そもそも、無駄な、あるいは余分な「成功欲」そのものが、良くないんだろうけどね。

初稿は詩です。

詩『減っていくこと』 体がどんどん減っていく お腹がどんどん減っていく 月の光が どんどん離れていく ぼくらがどんどん 減っていく お金がどんどん 増えていく お腹がどんどん 増えていく 限界どんどん 見えていく イライラちょっと 増えていく 減っていくことは 増えていくことを意味しない 減っていく怖さと 増やしていく欲望の 二律背反原理の上に 僕らは立っている 赤ちゃんでも子供でもなくなったのに 泣きべそかきたい だっこされたい こんな時代に この地球は なんのため? この空は なんのため? この血は なんのため? そして 僕らは なんのため?