小市民、なにげにサバイブ

発達障害持ちでも素敵に無敵に生き抜いていけるんだ!

飛び出せ!セイシュン……丸3度

1度目=十九のあの時から

2度目=二十九のあの日から

3度目=四十のその暁から

飛び出せ!セイシュン→→→セイシュン=実社会

1度目~3度目=起→承→転→結という展開も 共通事項

起承転結の起=開放的な気分になり、同期して 扁桃体前立腺の腫れ……(檄を飛ばされながら)……自信家の俺が、自己尊大に通じないようにとの配慮だったと思う。

起承転結の結=出来がいいのに比べたら出来損ないである自分と 自分を困らせていた事柄が治って、それと同期して 独立性×日中活動性…→→→…勤労性と生活力と恋愛性と遊びとDIYと得意とするもの===の、飛躍的向上があり、…この事も1度目~3度目の共通事項

結は決まって 心技体・節制=精神の統一と 生活の統合に通じた。

3回の

これまでの人生に於いてのターニングポイントのまとめです。。。

詩「うお座の俺と、時々オカン。」

俺を困らせていたもの

一連の商業主義

ジブンを惑わす性的煩悩…やましさを意味するところの。

創造性ノイローゼ

そして、つましさを伴う所在なさ。

この社会に於けるサナギのような俺が居て

成虫になって羽化したくて

のち、羽ばたくためにも

サナギは

この町に やって来たのだった

故郷をあとにしてからの 武者修行の道程と

故郷にいた頃から数え上げられる

参画してきた、そして、執り行ってきた 幾多もの全体主義

……で けっきょくは

故郷のオカンが急病で倒れて この世を去って

俺が 全面的に独立することを余儀なくされてからの 数年間の経路を通じてしか

俺が

羽化して羽ばたく道は

困らせていたものからパーフェクトに卒業する手だては

他になかった…と、いうことに なったわけだ

この町に来てからの

時折この住まいに訪れてくれた故郷のオカンとの思い出たちは

オカンから戴いた 厳しくも心暖かい 言の葉たちは

けっきょくは

バックグラウンドとなって

……あぁ オカンは

レールを敷いていてくれたんだな。

故郷を捨てた こんな どら息子のために…

最後には

その昔、かつてロンドンパンクが主張した

「社会的無秩序の法則性」だったり、「秩序破壊の哲学」だったり

そういう 心ってやつと

つねに何らかの嗜好品がなければ 落ち着いていらんなかった

そんな 身体ってものから

完全に脱却して

黙って導いてくれていた、あの世のオカンに掌を合わせ

~~ありがとうとしか いえません~~

四十で転職して……

<p>今週のお題「最近読んでるもの」</p>

上京アフロ田中」!!

……いや、身に沁みます。こころに効きます。

この俺自身が、四十歳で 派遣事業所に入職してからこのかた、、、

僕自身の希望に沿ってはいたものの、入職早々外勤を命ぜられて、働き始めてみたら……

それが、思いもよらないハードワークで……酷暑の下も、みぞれ降る中も……春夏秋冬励みに励んでました。

私事ながら

四十からの俺は、

持病だった うつ病の快癒以後の 社会復帰であったのだけれど

その事情に伴って、

若者に似た意識や心理の働きが ありましてね。

だからこそ

肉体労働に励んでいるアフロ田中くんに 重なるわけですわ……

自分自身の社会復帰以後が。。。

いやはや

そんでまたしても

私事ながら

当時の俺には

もう少年ではないんですから、俺!……で ありながらも でも まだ大人でもないし……という 若者が自立していく過程の 意識や心理の働きが とても強くあって、、、

だからこそなおさら

高校卒業ののち……上京仕立てで、それでいて社会の壁に立ち向かうアフロ田中くんに 自分自身に重なって思えるんだけど

この青春コミック漫画は

ユーモア溢れる茶番劇や 主人公の「田中」が惨めすぎて笑えてくる

そんな内容(→構成?)になっていて

漫画療法になりました。

実際の俺自身は

一方で 働き学ぶ好青年型

反面 また一方で 自宅においては 「こっちは復帰がかかってんだよ!」というように(口に出して言ったりはしなかったんだが)

外では 快晴モード ネットユーザーとしては天晴れモードで しかし 自宅では 常に神経質であるところの「雨降りモード」に陥っていました。

こういうのを

半 働く好青年・半 青年過渡期

といった上京にたとえられるんではないのか?

そうしたのち、俺自身の親族に不幸があり……しかし!苦労しても惨めでも不平を言わないアフロ田中に勇気付けられながら、

親族の不幸があって以来、身体症状を起こしてしまい派遣事業所に休職願いを出してみたらこれが見事通って

その時期のことを 名付けて「怪我の功名ゲットシーズン」と呼んでは

笑って休職期間を過ごせたのも、、、

こういった 漫画療法のおかげ!!

漫画よ、どうも!ありがとう!!

自力本願 or 他力本願 !?

要は

タイガーマスク」のストーリーでいうところの

(生活+アルバイトの)虎の穴の茨の道…を邁進しながらも、

(男として…の)強がり・ナルシスト・生き急ぐ者=自力本願の道を選択せず、、、

同時に、(一人の不器用な者として…の)甘え・共依存・マゾヒスト=他力本願の道をも……必要とする 道を選択せず、、、

ていうか 「(自力本願も他力本願も)選択していない もしくは 選択肢に無い自分」へと向かって歩み続けた。

つまりは同時に、虎の穴の道のり を

その間の、自分自身の 実体験や経験知とすべく……

その道のりは

独立の行程を 意味するもので……

っていうか

もう今後一生

お目にかかれない、、、

不器用な者としての

三十路……四十路だったか?!

キビシィ~~…丸十年の

独立の行程を

満了!!→→→ 教育を受けた甲斐が あった!!

酸いにも 苦いにも 感謝…10年を振り返り…

昔の人は 10年一昔、といっては 過ぎた時代を懐かしみ そして私事を振り返った。

今、10年一区切りに値する時季を迎えていて

振り返ると、、、

つまりは

自分というものが育まれた時代だったんだな。

・生活年齢 ・コミュニケーション年齢

この二つの「年齢」を意味するに相応しい二大幼さ=自分に不足していて なおかつ落ち度でもあった。

どんなに律儀に、あるいは潔癖にこなそうとも、サポーターが手助けに入ってくれようとも 現実実際的に見て……こころの知能指数=EQとして受け取れるところの精神年齢的な拙さ……

無闇に技能やテクニックを身に付けることに向かわずに、、、

実戦で鍛えてネットなどで学びを持ち、 そうして振り返り 自省することの繰り返しにより、、、

この10年で

そういう自己について大人化することができた。

職業的年齢や 知的年齢などは とっくに大人になっている俺だった。。。もちろん、自我年齢や社会年齢も…元来大人の俺が居て…。。。

この10年間に味わうことになった

あらゆる「酸いも甘いも」や「苦々しさ」……浴びせられた罵詈雑言なども含め、そういう苦しくって痛かったあらゆる出来事に

感謝します。

敬具。

自分が今ここにあるということ

特別お題「わたしがブログを書く理由」 自分を慈しむために。日々の修養を意味するものです。……………「生きること、それは日々を告白し続けることである」~~故・オザキ氏の遺作より~~

たとえ静かな一人でも~~自己について~~

生きること たとえ静かな一人でも 生きてることが 存在証明 見えてきた リアリティーにも めげないで 教会の鐘は 鳴ったのだから 非力でも 無力でもキミは一人前 たとえ未来が見えなくなっても この実社会に存在していることを証明してくれるもの。明日への希望をもたらしてくれるもの。 もしも そういう 「大切な何か」を欲しいと願うのなら、 自分が財産!今後を生きていくためにも、まぎれもなくこの自分自身が 財産だ。 そう信じるといい。 俺は、十九のある日、あの長渕剛の曲に奮い立たされて……やるなら今しかない!!曲中の詞の通り……というか、ごとくに シンガー・ソングライターの道を歩み始めた。 はじめこそは 手探りで 家族からは、特に父からは いったい何をやり始めたんだ……!!と。友人からは『青春の無駄遣い』などと たしなめられることもあった。 でも 当時の僕にとって 明日への光を与えてくれるものは それしかなかった。 年が明けて二十歳。 俺は、大学のキャンパスに居た。ナイスガイたちやかけがえのないバディとの出会いがあった。 今振り返れば、故事ことわざにいう『四面楚歌』のような苦しい時季もあったし さ迷える夜更けもあったけど あれから始まった アメージングな毎日=めくるめく日々、、、、を 抜きにして 俺のこれまでの人生は 語れないんだな。。。 生きとし生きていくにあたり、 希望は大切なものだ。なげやりな生き方には、ツケが回ってくるものだ。。。